「マシャフに戻った時くらいは、フードを取ったらどうなんだ?」
心地好い風が吹き抜ける中庭。草の上に座るマリクからふと出た言葉。
何故だ?と、マリクの後ろに立つアルタイルが尋ねる。
「今日は風が気持ち良い。それに…白の大導師様は怖い、と苦情が出ている」
「…は?」
マリクは座ったまま、上半身を少しアルタイルへと向けた。
「フードで表情が見えないのがな…そういう苦情が出る原因になっているんじゃないかと思って」
「怖い大導師で結構」
マリクを見下ろしながら答える。
「味方に怖がられてどうする」
アルタイルを見上げた顔に苦笑が浮かぶ。
「マリク、お前は俺が怖いか?」
「いや」
「人を見た目で判断している方に非はないのか?」
「うん…まぁそういう考え方もあるか…」
マリクは正面を向き直し、ふぅっと肩を落とした。マリクのその後ろ姿に、アルタイルの心がちくりと痛んだ。
 

 
翌日、街道に狼が出たと知らせを受け、アルタイルを含む六人のアサシンが見回りに出た。六人は一人ずつ散り、狼を見つけたらその場で駆除をするか、群れの場合は砦に報告に戻るという段取りを付けた。
狼の姿は見られなかったものの、食い荒らされた野生山羊の残骸を見つける。人を襲う事はまずないと思うが、家畜を食い荒らされてはたまらない。マリクに報告し、民に伝えなければと思い、アルタイルはマシャフへと引き返す事にした。
 
もうすぐマシャフに入る、という所でアルタイルは昨日のマリクの言葉を思い出した。被っていたフードを取ってみる。
 
まず、入り口の警備兵が怪訝な顔を見せる。見ない顔だけれど、服は最高位のアサシンのもの。誰だ?と思い、通り過ぎる顔を覗き込む。アルタイルがその視線に気がつき目を向けると、警備兵は慌てて顔を背けた。
街に居る兵士や村人達も、通り過ぎるアルタイルを凝視した。いつもは目の前を通れば軽く挨拶をする兵士達も、今日は挨拶無しでアルタイルを凝視するだけ。
その視線に耐えられなくなり、アルタイルはフードをかぶった。
「ああああ!!!」
一斉に上がる声に、アルタイルは驚く。
「あぁ、白の大導師様…誰かと思った…」
「初めて素顔を見た気がする…」
「マリク様よりも若いって聞いてたけど本当だったんだ」
様々な感想が飛び交い、街をざわつかせる。
そのざわつきを背に、アルタイルは肩を落として砦へ入っていった。
笑いをこらえきれないアッバスを、睨み付ける気にもなれなかった。
 
「すまない…アルタイル…まさか誰もお前の顔を知らないとは…思ってなかったんだ…」
執務室に入るなり、アルタイルは隅へと向かい座り込んだ。マリクは慌てて何が起こったのかとアルタイルに尋ねたが、アルタイルは無言で座っているだけ。アルタイルの様子を見ようと砦の中に入ってきたアッバスを捕まえて、やっとアルタイルの落ち込んでいる理由が判った。
民の、アルタイルに対する認識は「怖い雰囲気を纏った歩く白フード」だったようだ…。
自室に戻らずここに来たのは、慰めて欲しいからなんだろうなと思う。あと、提案を受け入れて実行した勇気を俺は認めなければならないな、と思う。けれども、アルタイルが放つどんよりとした空気は、半端な慰めは通用しないと語っていた。
丈夫なカバーのついた本とペン、それにインクと処理しなければならない書類。それらを手に取った。
壁に向かい座るアルタイル。その背に背を付けて座った。本を膝の上に載せ、その上で書類を片付け始める。
何時間も経った。時たま部屋へ入ってくる者達はその光景に戸惑ったが、アルタイルの様子と『今日マシャフであった出来事』を併せて推察し、哀れみの目を向けるだけだった。
 

 
夜も更け、だいぶ月も高くなった。
「そろそろ夕食にしないか?」
マリクが呟いた。アルタイルは何も言わず顔を上げた。
砦には微かに良い匂いが漂っていた。その中に甘い香りが少し。
「今日は特別にバスブーサ*を頼んだ。半分ずつだからな」
「…そういえば、昼を食べ忘れていたな」
アルタイルはやっと口を開いた。そして意を決したように力強く立ち上がると、足早に歩き出した。
「遅れて来た奴には、バスブーサは無いからな」
「…待て!アルタイル!半分ずつだと言っただろう!?俺も好きな…」
マリクが立ち上がった時には、既にアルタイルは部屋を出ていた。
まぁ…機嫌が直ればいいんだけど…それに、夕食を菓子から食べないよな、普通は…。マリクはそんな事を思いながら、のろのろとアルタイルの後を追いかけた。
 
食事の席に着くと、バスブーサは見事に無かった。
傍らには甘い菓子を頬張るアルタイル。
マリクはガクリと頭を垂れた。
 

 
その後、白の大導師様が怖いという苦情は一切無くなり、代わりに、白の大導師様は意外と可愛いという話が聞かれるようになった。
マリクはその評価に、しまったと顔をしかめた。
 
END.
 

 
*バスブーサ(Basbosa):形は円形や四角形と様々。セモリナ粉・牛乳・砂糖・ヨーグルト・生クリームなどを使い、型に入れて焼いた菓子。ソフトクッキー?固めのケーキ?のようなもの。焼き上がりに全体にシロップをかける。アーモンドをトッピングしたりもする。とても甘い。エジプト菓子だけれどアラブ地域にも進入している御様子。
 
毎月1回、その月に誕生日のある「子供」のためにマシャフで焼かれる菓子で、年に1度(自分の誕生日に)しか食べられない憧れのアイテム…という裏設定をここに書いてみる。この時代の甘い物事情はどうだったんでしょうねー